普及委員会:松田秀章
交流・事業委員会が主催された「バスツアー」に行ってきました。
本当に、こんなに沢山廻るのかなと思っていましたが、見事な運営に驚きました。準備も含め、加藤さん、内村さん、谷内さん、菊池さん、常田さん、そしてネットワークの広さを見せつけたツアーコンダクタの鈴木さん、他皆さんに感謝いたします。
(名前の出ていない方、すみません)
バスは、ほぼ満席に近い状態でした。渡辺さんの隣の席が空いていたため、合い席をお願いしました。行く先々で、渡辺さんのバックから、色々なものが出てくるため、まるで「玉手箱」のようだと思いました。いつも、こんなに「もの」を携帯して歩いているのでしょうか?私の鞄にも色々入っていますが、レベルの差を感じた次第です。
バスは高速にて、一気に室蘭に向かいました。車内では、自己紹介が続きます。隣席では、渡辺さんが、皆さんの似顔絵を描いています。特長を良く捕らえていますね。思わず、吹き出しそうになりますが、コメントは、控えておきます。
天気に恵まれて良かったですね。あと、1日遅かったならば、まるで別なツアーになったと思います。本当に、みなさんの行いに感謝致します。白鳥大橋を渡る時、下海が非常に美しく見えました。ただ、隣席は渡辺さんです。。(すみません、お互い様ですね)
初めに、日本製鋼所室蘭に到着しました。まずは、「瑞泉閣」と「瑞泉鍛刀所」です。その前に休憩したホールでの家具に皆さん、カメラ、カメラでしたが、私には良く判りませんでした。ただ、縁がせり上がったテーブルには感心して、私もカメラしてしまいました。
2手に別れました。松に囲まれたインターロッキングの路をゆったりと上がって行くと、滅多に見ることはできないと言われる「瑞泉閣」です。明治44年に、大正天皇が訪問されたときに、宿泊所として新築された、洋館199m2、和館(パンフレットには和風建物と書いてあります)303m2の建物で、昭和天皇はじめ幾多の皇族が使用したという、とてつもなく由緒ある建物だそうです。
見えてきたのは洋館のベランダです。その先の屋根からは、煙突が3本見えています。さらに奥に廻ると玄関がありました。。「瑞泉閣」と書かれた提灯が両脇にある、思いっきり和風な門構えです。
>http://www.iburi.pref.hokkaido.jp/kanko/mokuteki/rekisi/koujyou/seikohjo/main.html
玄関を入ると、「日本製鋼所」と書かれた額がありました。明治の元勲、伊藤博文直筆だそうです。みなさんご存じの様に、貧農の子に生まれて、吉田松陰に開眼され、幕末を生き抜いて、初代内閣総理大臣となり、最後は暗殺されたという、超波乱の人生を送った人です。意外と知られていませんが、ほとんど意味のない時期に、自分の名を上げるため、国学者を惨殺していますね。それでも、お札の顔になるのですね。奥には、日本海海戦の東郷平八郎の額もありました。思わず、司馬遼太郎してしまった次第です。
説明してくれた方が、素晴らしいですね。殆ど礼服に近い正装で、きっちりと説明してくれました。貴重な経験をさせて頂きました。ところで、伊藤博文が購入したという、超巨大な「硯」が置いてありました。長辺で30cm以上ありましたね。どうやって使うのだろう。。。。
次は、私の本日最大の目的である、「瑞泉鍛刀所」です。建物は、昔を想い出す、下見板張りの平屋の小屋です。玄関も細い注連縄(しめなわ)と紙垂(しで)が下がっているだけで、ちょっと寂しい気分です。
硝子戸をガラガラと開けて中に入りました。ここで携帯が振動しましたが、無視して中へ。
何もかもが黒く染まった、薄暗がりのなかで、白装束のお兄さんが、赤々と燃えた炭のさらに奥の、土間を堀り込んだ中で蹲っています。「オ! 刀匠か!」 感動ですね。でも、若いな。。。
どうも自分が年のせいか、叔父さんでないと納得できなくなっているようです。<携帯がうるさい>
鋼材のブロック(長さ10cm程度)を鍛錬する実演を見せて貰いました。てっきり、大ハンマーで、交互に叩くのかと思っていましたが、機械があるのですね。丁度、産業革命後に発明された様な、鍛錬する機械です。刀剣を最終仕上げする段階は、大ハンマーで叩くのかな。しかし、はさみの親玉みたいなもので、鍛錬される鋼ブロックを押さえているのですが、凄い精神力です。素人では、多分押さえきれないな。。
質問時間です。値段を聞く方がいました。良い質問ですね。研ぎも入れて、1本100万程度だそうです。思いの外、安いと思いました。1本作るのに、3週間程度かかるそうですから、厳しいですね。1本、欲しいなあ。
刀は、焼きを入れるために、伸縮率の差で反りができるそうです。それでは、直刀はどうやって作るのだろうと聞いてみました。なんと、逆に反りを入れて、背を丸めて、作るのだそうです。そうすると、計算通りに真っ直ぐになるとのこと、驚きました。ここで、また携帯が振動する。
諦めて、外へ出ました。アーアー。。。
そして、日本製鋼所の工場見学です。撮影禁止ですよ。見学のためのキャットウオークから工場を眺めると、頬が熱くなります。数十メートル先に、直径2〜3m、長さが20m位の鋼材がクレーンで吊されています。まるで丸太の様に見えるのですが、表面温度が下がっただけの灼熱の巨大鋼棒なんですね。すぐ横に工員がいるのですが、信じられない。
みんなが見ている視線の反対側では、赤く燃えた巨大鋼棒が、巨大ハンマーでゆったりと叩かれています。迫力あるなあ。と、思っていると、下の方から、真っ赤な鋼の固まりが、いくつも現れてきました。圧倒されますね。記念写真を撮りたいところです。
日本製鋼所を後にして、私には懐かしい室蘭プリンスホテルにて昼食タイムとなりました。豪華なホタテづくしでした。どうも、みなさんお腹がすいているみたいで、ホテルの人の料理を持ってくるスピードより、お腹に入るスピードが勝っている様です。この辺りは、かつて賑わった室蘭の商店街ですが、シャッターが降りている店が目立ちましたね。
次は、室蘭の半島の先、絵鞆にある「みたらの杜」です。
>http://www.koseikai-wel.or.jp/mitara/mitara-tokuyo.htm
設計をされた奥山さんが、みずから案内をしてくれました。定員124名+ショートスティ16名の大きな介護老人福祉施設です。みなさんは、介護老人福祉施設と介護老人保健施設の違いを知っていますか?沢山、違いがあるのですが、前者は老人福祉法、後者は介護保険法に基づくものです。詳細はまた、後日。
施設全体にバンブーフロアー(竹のフロアー)が使われているのには驚きました。奥山さんに値段が幾らだと思うと聞かれましたが、見事に外れました。しかし、ここまで大面積で使われている施設は、そう無いだろうと思います。中国製のバンブーフロアーだそうですが、少し収縮率が大きいようです。
併設の美術館には驚きましたね。市民ギャラリーとの事でしたが、レベルの高い日本画が沢山飾ってありました。(後で判ったのですが、ユトリロやシャガールもある、所蔵品が展示してあったそうです。市民ギャラリーとのことで、目的外のため、後ろ髪を引かれる思いで通り過ぎてしまいました)さらに、藁谷耕人記念館も併設されています。
>http://www.koseikai-wel.or.jp/mitara/mitara-tokuyo05.htm
平山郁夫と同級ということですが、50点余りもの大作品が常設されていました。はっきり言って、私は平山郁夫より好きになりました。3階の廊下にさりげなく飾ってあった「唐招提寺の金堂」の絵(12号くらいかな)もありましたが、これが一番欲しいと思った作品です。刀剣と唐招提寺(藁谷耕人?)で幾らになるかな。。
続いて、測量山の麓、「惠山苑」です。栗林商会が、94年前に室蘭に来る要人をもてなすために、贅を尽くして建てたという、敷地4,000坪、建物約200坪の社寺建築です。釘を1本も使用せずに建てたといいますから、あの法隆寺の西岡常一棟梁を思い出しますね。
バスは、源氏塀ということですが、瓦棒の屋根、板塀で上部が漆喰塗りになっている塀に囲まれてた広大な敷地に着きました。なるほど、内部は見えません。表門は、古風ですね。門前で背広姿の叔父さん達が待っていました。スキンヘッドの叔父さんもいます。ちょっと、怖ろしい。。。
門を入ると、見事に手入れされた松やツツジの木が沢山あります。ツツジが咲く頃に、再来したいですね。右手に、赤い鳥居が並んでいます。お稲荷さんがあるようです。屋根は北海道には珍しい瓦屋根です。玄関から、大広間に案内されました。12畳の部屋が2つでしたか?続いて、脇の間にも畳が垂直に敷かれています。全部で何畳か、聞くのを忘れました。
脇の間の外に廊下があるのですが、その格子硝子戸の上の梁(縁桁/えんげた)が27mの一枚物だそうです。信じられませんね。その他、欄間の細工、書院の組子、床の間などに無造作に置いてある壺や掛け軸、洋間の暖炉や壁付けの噴水?、家具、etc.etc.そして栗林家の仏壇まで見せて貰いました。文化財だらけですね。
しかし、多少の修復をしたとは言え、94年も経て、殆ど隙間の目立たない、宮大工の確かな技術に恐れ入りました。
ところで、昔風の大きいけれども意外と質素な台所があるのですが、そこで渡辺さんは、お手伝いさんと親密になっていました。似顔絵を描いていたようです。後で聞くと、いつでも来館O.K.の「顔パス」を確保したそうです。また、ゆっくり来て見よう、という考えですね。
一行は、室蘭の港が見える道の駅で少しの休憩を取った後、伊達市の藤本荘介氏設計の「ミネルバ病院関連施設」に向かいました。
>http://www.minerva.gr.jp/
なんと、ご本人が迎えていました。さらに竣工前日のため、館内は忙しそうでした。施工者の皆さん済みません。
施設は、噴火湾沿いの小高い丘の上に連なっていました。いくつもの施設があるようですが、見学した建物は、外観も内観も白いブロックを並べた不思議な空間です。床は節のある無垢のフロアー、壁は白、天井も白く塗った板を隙間7〜8cmほど空けて張ってあります。その隙間から見える天井の懐も白です。ご本人はピアノ塗装と仰っていました。トップライトがあるところから、淡い光が差しています。さらに木肌をみせた手摺りと薄いブルーのペアガラスがところどころにあり、そのガラスから外部をかいま見せています。
何故か「2001年宇宙の旅」の宇宙船を想い出しました。そういえば、藤本さんご本人も、ちょっと宇宙人風に見えたのは、私だけでしょうか?
しかしなんと言っても、どれもこれも施工者泣かせの納まりです(失礼しました)。
外に出ると、藤本荘介氏デザインの9坪ハウスが並んでいます。さらに、小中学校と体育館も見学をさせて頂きました。体育館の壁面にはロッククライミングがついていました。非常につかみやすい取っ手が壁面に付いているため、私でも登れそうな気がしました。
朝7時45分の札幌北口駅前集合から、施設見学が終わった伊達で、時刻は18時を過ぎていたと思います。大変なボリュームのツアーでしたね。今回は、バスの中での模擬試験もなく、無事札幌に向かうことができました。噂を聞いて、準備をしてきた人がいたかも知れません。隣席では、渡辺さんが自分の描いたスケッチと似顔絵に彩色をしています。本当にマメな人です。
私は、持参してきた「介護と建築のプロが考えた『生活リハビリ』住宅」/バリアフリーは間違っている/三好春樹・吉眞孝司共著を読んでいました。
「自分たちが入りたい施設を」なんてのが、その典型だ。その自己中心性にすら気付いていないらしい。若くて自立している自分を基準にしてどうする。最も呆けている人が落ち着くような施設を造るべきなのだ。そうすれば全室個室になんかなるはずがない。
バリアフリーというと、まず風呂は段差をなくすべきだと考えるし、玄関にもスロープをつくるのがいいと思われています。ところが、このスロープというのは、人を乗せて自分で車イスを押してみればわかりますが、若い者でも息が切れてしまうほど大変なんです。ましてや「老老介護」といわれる老夫婦の一方が歩けるときは、そのくらいのことと思って事イスを押すでしよう。そうして途中で力が尽きてしまい、二人一緒で事故を起こしてしまうのです。
などと、刺激的なことが書いてあります。実際に、老健施設を運営・計画をされている方の経験から来ている発想ですから、深刻です。
札幌駅北口での2次会の後、自宅に帰ったのは夜もかなり遅くなっていました。本当に、みなさんお疲れ様でした。そして、堪能しました。改めて、感謝いたします。あの後、さらに3次会に行った方はいないでしょう?